東日本大震災から9年を迎えて
2011年3月11日の東日本大震災から9年の歳月が経ちました。被災された皆さまへお見舞い申し上げます。
東日本大震災当時、琉球ゴールデンキングスはbjリーグに所属、リーグ戦期間中の震災により3チームが活動中止となり、リーグ戦の延期措置も取られました。キングスには活動中止となった仙台89ERSから志村雄彦選手(現 仙台89ERSゼネラルマネージャー)がレンタル移籍で加入しました。「苦しく辛い時こそ、バスケットボールに全力で向き合い、沖縄から東北へ勇気を届けたい」という志村選手の姿勢は、東北だけでなく日本全国にも勇気を与えてくれました。
現在、日本各地では新型コロナウイルスの暗いニュースが続いており、先行きの見えない不安に襲われています。このような状況ですが、東日本大震災の時に、日本全国、共に手を取り合って、「頑張ろう東北・日本」と一致団結して苦難に立ち向かったように、私たち琉球ゴールデンキングスは、プロバスケットボールクラブとして、皆さまにバスケットボールを通じ明るいニュースと元気をお届けできるよう活動してまいります。また、今この毎日が、かけがえのない時間である事を改めて心に刻み、日々活動できていることに、クラブ一同、感謝し努めてまいりたいと思います。
現在キングスには、岩手県出身の#34 小野寺祥太選手と、2011-12シーズンを岩手ビックブルズでプレーし、震災を目の当たりにした#21 寒竹隼人選手が所属しています。両選手からのコメントをご紹介させていただきます。
#34 小野寺選手コメント (岩手県出身)
震災当時、自分は高校2年生で、岩手県一関市に住んでいました。海沿いの町ではなく、津波による被害はなかったのですが、震源地が近かく身近な方の家が倒壊していて、その光景を見た時にすごくショックを受けたのを今でも覚えています。自分自身も避難所となっていた体育館で不安な日々を過ごし、大好きなバスケットボールどころではありませんでした。2013年、岩手ビックブルズに入団後、沿岸部の防災ガイドに参加して被災されたガイドさんから自分が知らなかった当時の状況を教えてもらい、改めて沿岸部の被害の大きさに衝撃を受けました。それと同時に、プロバスケットボール選手として地元の皆さんに元気を与えたいと強く思いました。今は、遠い沖縄の地からですが、もっと活躍してこれからも地元岩手に明るいニュースを届けられるよう日々全力でプレーしていきます。
#21 寒竹選手コメント (2011 -2012 岩手ビックブルズ所属)
自分は、震災直後の2011-2012シーズンにドラフトで岩手ビックブルズに入団したということもあり、被災地の一つでもある岩手は思い入れがとても強いです。震災後、沿岸部でバスケットボールクリニックを行った時に、震災で親を亡くした子や自宅が流された子供達が、その一瞬だけでも笑顔でバスケットボールをやっている姿を見て、自分達のやっている仕事の素晴らしさを本当に改めて強く感じました。また、その人達のためにも岩手県を背負って戦っている自分達が頑張らないといけないと、特別な使命感を感じることが出来ました。震災から1年後の2012年3月11日、とても試合をするという雰囲気ではなく延期の話しも出ていました。それでも、バスケットボールで皆さんに何か伝えることができればとの思いで試合を行いました。当時タレント揃いだった大阪エヴェッサとの対戦で、最下位付近で低迷する岩手が1点差の劇的勝利を収めることができました。この試合は、今でも忘れられないこれまでの人生のベストゲームですし、元気や勇気を岩手の皆さんに届けられた1勝だと思っています。岩手のチームでプレーしていなかったら、何のためにバスケットをしているか分かっていなかったと思いますし、今もプロスポーツ選手としての価値を分かっていないまま漠然とプレーしていたと思います。岩手で、自分たちが何のために、誰のために、プロスポーツ選手っていうのがどういうものか、っていう事を考えさせられ、そこで自分のプロバスケットボール選手としての基盤が生まれました。これからも、 見ている方々に元気や勇気を届けられるよう、プロのバスケットボール選手として取り組んでいきたいと思います。