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ニュートン氏、金城氏、桶谷HC、#14 岸本選手コメント

▽初代永久欠番「50」ジェフ・ニュートン氏
 マックは本当に偉大なリーダーでした。いつも側にいてくれて、常に私を助けてくれました。沖縄アリーナ内に掲げられているチャンピオンフラッグもマックのおかげと言っても過言ではありません。沖縄のバスケットボール文化を築き上げてきた人だと思っています。本当におめでとうございます。



▽永久欠番「6」金城茂之氏
 本当に感謝を伝えたいです。日本を、沖縄を選んでくれて本当にありがとうございます。当時のbjリーグは今と環境が全然違っていて、ここに来る決断をするのは大変だったと思います。もちろんご家族の理解もあったと思います。そして、キングスを救ってくれ本当にありがとうございます。マックが来る前は、あまり期待もされていないチームで、マックとジェフが来てくれて勝つ喜びやバスケットボールを仲間と繋ぐ楽しさを教えてくれました。2年目で優勝できたことでそこからキングスの歴史が始まったと思いますし、マックの大きな背中でみんなを引っ張ってくれたおかげです。キングスと信州という2つの素晴らしいチームの基盤を作った立役者でもあります。現役生活本当にお疲れさまでした。改めて永久欠番おめでとうございます。



▽桶谷大ヘッドコーチ
 マック、おめでとうございます。当時ジェフ・ニュートン選手からアトランタにスリーパー(才能を秘めている人)がいるからぜひ会って欲しいと言われ、安永さん、木村さんと3人でアトランタのホテルのラウンジで最初にマックに会いました。その時マックはメガネをかけていて、ぽっちゃりしていて、大丈夫かなこの子はと思ったんですけど、結局、マックのキャリアはこうやって背番号が飾られるぐらい偉大な選手でした。あの時僕たちがアトランタに行かなかったら、このキングスは成り立っていなかったし、この沖縄アリーナもできていなかったと思います。本当にマックありがとう。これからのマックのコーチとしての活躍を皆さんぜひ応援していきましょう。



▽#14 岸本隆一選手
 まずは現役生活お疲れ様でした。マックと最初に出会ったのはずいぶん昔で、ポイントガードとして全然仕事ができない僕をいつもサポートしてくれて、困った時には常に側にいてくれました。時が経って僕が33歳になり、これからのキャリアでどんな選手になりたいかを考えた時に、マックがいつも思い浮かぶほど僕にとってすごく選手としても偉大な人だと感じています。これからの人生もマックにとってより素晴らしいものになるように、そして僕も少なからずその一因になれたら良いなと思っています。本当にお疲れ様でした。永久欠番おめでとうございます。