アンソニー・マクヘンリー アソシエイト ヘッドコーチインタビュー(前編)

2026-27シーズンより、アソシエイトヘッドコーチに就任し、実質的に琉球ゴールデンキングスの指揮を執るアンソニー・マクヘンリー氏のインタビューをお届けします。
マクヘンリー氏は、2008年からbjリーグとBリーグをまたいで9シーズンにわたりチームを支え、中心選手としてキングスの礎を築いてきました。現役時代の背番号「5」は永久欠番となっており、その功績は球団史に深く刻まれています。
2023年の現役引退後はアシスタントコーチとしてキングスに復帰し、いずれもBリーグファイナルに進出した直近3シーズン、桶谷大 前ヘッドコーチの下で貴重な経験を重ねてきました。
インタビューの前編では、マクヘンリー氏がキングスでコーチデビューを果たすまでのキャリアに迫ります。
ー2008年にキングスに加入する前、母校のジョージア工科大学でコーチをしていました。当時からコーチになりたい気持ちがあったのですか?
大学時代のヘッドコーチがコーチの素養を見出してくれて、「選手を引退した後はコーチになったらいいんじゃないか」ということで、GA(大学業務の補助を担う代わりに給与や授業料免除などの支援を受ける制度)というシステムを活用してコーチをしていました。ただ、当時からコーチになりたかったかというと、答えはノーです。やっぱり選手としてプロキャリアを送りたい気持ちの方が強かったですね。とはいえ、いま振り返ると、自分の「他の選手を助けたい」「他の選手が成功している姿を見たい」というマインドやプレースタイルは、最終的にはコーチが向いていたのかなとも思います。
ージェフ・ニュートン氏の紹介を受け、木村達郎社長(当時)、安永淳一GM、桶谷 前ヘッドコーチが米国まで会いに行ったそうですね。そのとき、日本のbjリーグのことは知っていましたか?
知りませんでした。当時もインターネットやSNSはありましたが、現在ほど発達していたわけではなかったので、情報もありませんでした。母国から遠く離れた日本でプレーできるなんて想像もできませんでした。ただ、先ほども言ったように、プロ選手としてキャリアを送りたかったので、契約の機会をいただけたことにはすごく感謝をしていました。
ーbjリーグでプレーをしてみて、日本のバスケットボールのイメージはいかがでしたか?
日本のスタイルが、自分のバスケスタイルにすごく合うなと感じました。これといった理由はありませんが、フィットしている感覚がありました。ただ、毎日が簡単だったかというと、そうではなく、タフな試合がとても多かったです。

ー当時のキングスは体育館を転々としながら練習をしていました。そういった環境についてはどのような受け止めでしたか?
全く気にしていませんでした。直前までコーチをしていて、自分が愛するバスケットボールを選手としてプレーできていなかったので、素晴らしい機会をくれたキングスに対して感謝の気持ちしかなかったです。

ー沖縄はバスケットボールが盛んな地域です。沖縄のバスケ熱はどう感じていましたか?
日本に来た当初は沖縄で見ているものが全てだったので、特別な熱があるかどうかは分かりませんでした。ただ、試合でいろいろな場所に行くにつれて、沖縄がユニークな場所だと感じるようになりました。3人に「あなたはバスケットボールをしていましたか?」と聞いたら、2人は「はい」と答えるんじゃないかと思うくらい、バスケットボールの存在感が大きい地域です。そういったコミュニティがあるからこそ、キングスがここまで大きな組織に成長したことに驚きはありませんね。

ー以前、桶谷 前ヘッドコーチがマクヘンリー氏について、シーズンを重ねるごとに人として成熟していったという話をしていました。自分でも成長の手応えはありましたか?
沖縄に来て、またバスケットボール選手として生きていけるというだけですごくうれしかったので、自分自身に対してはかなりプレッシャーをかけていました。「成功したい」「成功しなきゃいけない」という気持ちでした。沖縄の文化を学ぼうとする姿勢は当時から自分の中にあったし、逆に、沖縄の人も自分のことを学ぼうとしてくれて、それはお互いにとって良かったと思っています。早い段階から、沖縄が自分のいるべき場所だと気づいていました。初めに来たのが沖縄以外の場所であれば、ここまでの成長はなかったかもしれません。沖縄に対する感謝の気持ちはとても強いです。

ーbjリーグでキングスの4回の優勝をけん引し、若い選手にとってはメンターのような存在になっていきました。意識的にリーダーとしての資質を磨いていったのですか?
自分がしてきたような失敗をしてほしくないという気持ちもあり、経験を伝えるようにはしていました。ただ、自分がメンターだという意識は全くありませんでした。受け手がアドバイスとして思っていてくれたなら、メンターだったのかもしれない、というくらいの気持ちです。

ー信州ブレイブウォリアーズ時代も含め、日本のトップクラスで活躍し続けました。選手としての経験がコーチの仕事にも生かされている部分はありますか?
100%生きていて、全ての経験が今の仕事につながっていると思います。相手チームには、自分が選手だった頃に対戦した選手もいるので、その経験を伝えることもできます。他にも、難しい状況に陥っている選手がいた時には、どう対策をしたらいいかや、何をしたら良くなったかなど、自分の経験をもとに話すことができています。
ーいつ頃、コーチになるという決心をしたのですか?
そのタイミングは明確に覚えています。現役最後の2022-23シーズンの最終戦の日の朝に第3子が生まれました。シーズンが終わって母国に帰り、通常であれば、1週間くらい休んだら来シーズンに向けてワークアウトを始めていたのですが、その時に限っては、家事をしたり、子どもと一緒にいたりして家族との時間を過ごしているうちに、気がついたら1カ月間もバスケットボールに触っていなかったんです。そこで初めて、自分がいま一番やりたいことは、選手ではないということに気がつきました。選手としてのオファーもいくつかありましたが、それでも心は動かず、コーチとしてバスケに関わりたいと思うようになりました。
ーコーチとしてキングスに戻る前、桶谷 前ヘッドコーチに連絡を入れたと聞きました。
幸いにも桶谷 前ヘッドコーチとのつながりがあり、連絡を入れて「キングスのスタッフ陣はどんな状況?」と聞いたところ、ありがたいことに球団がすぐに話を前に進めてくれました。そこからの流れは、皆さんが知っている通りです。

ーご自身としては、Bリーグで、もしくはキングスでコーチキャリアを始めたいという思いがあったのですか?
コーチとしてはルーキーだったので、こだわる余裕はなかったのが正直なところです。ただ、コーチになるうえでは、自分がそのチームを去る時には、来た時よりも良い状態にしなければならないという信念はありました。どのチームに着地しても自分がやるべきことは分かっていたので、それに全力で取り組むだけだと考えていました。沖縄は大好きな場所で、キングスは大好きなチームなので、ここに着地できたことをとても感謝しています。






































